蓼科・八ヶ岳での田舎暮らし

神々の宿る 蓼科八ヶ岳物語

その1 神之原

八ヶ岳山麓に広がる裾野は、御柱街道をはさみ、南側が原村、北側が茅野市になっています。

字(あざ)名を見るとエコーラインから東、原村の広い地域で「原村字原山・・」、 茅野市側は「茅野市玉川字原山・・」になっていて、地元の人は上原山と呼んでいます。

「字原山」は、北は尖石考古館付近までおよび、現在の字原山地域は大昔、「神野(こうや)」と呼ばれていて、諏訪大明神の神事が多く行われていたようです。

神野は、少し下ってきたところに、「神の原」または「神野原」を意味する「玉川神之原」という地名があり、ここより上は、上社の狩場であったため長い間農業を営むことが禁じられていました。

有名な諏訪大社の奇祭「御柱祭」の木遣りに「御小屋(おこや)の山のモミの木は里に下りて神となる」があります。八ヶ岳阿弥陀岳の尾根を下ったところに「御小屋山(おこやさん)」があり、その原生林からモミの大木が出され、神野(こうや)を通り諏訪大社に奉納される神事が「御柱祭」です。


現在のエコーライン近くに小屋場と呼ばれている地区があり、「大道」の字名が残っている場所があります。このあたりは、神之原の山作衆(やまみしゅう)が、御小屋山へ御柱を切りに行く時に上ったと伝えられている古道があったようです(現在の白髭神社付近)。山作衆は、御柱の木の見立て、 伐採の指示などを任されていたようです。現在でも神之原地区の原田姓の8軒が精進の気持ちで御柱の重要な役割を担っています。

八ヶ岳裾野一帯「神野」は、神宿る縄文文化の中心の地であったようです。

(その2 武田信玄の棒道


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